みかん県にも行ってきた Part5

てな訳で松山城に突入。

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展示の類は…まあその何だな、いつものお城とあまり変わらず。
ただ、個人的にウケたのがこれかな。

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2004年から2006年にかけて天守の大改修した際に
壁板の裏側にあったのが見つかったらしいんだが、
落雷で焼けた天守を再建した際、当時の大工さんが悪戯で描いた物のようで。
モデル(?)が誰なのかはさすがに分からないらしいが、多分その際の作事奉行ではないかと思われるそうな。
しかしその何つか…こんな顔した奴その辺にいそうだなw
まさか150年も経ってからこんな形で公開されてしまうとは、
描いた方も描かれた方も夢にも思ってはおらんかっただろうがw

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ちなみに現在の松山城天守、現存天守の中では一番新しいもので、
1854年に完成した三代目の天守。ペリーの浦賀来航より後だったりする。
…こう言うと、「黒船に対抗して建造した?」などと考えてしまうそそっかしい人もいるんだが
実際問題として、幕末の時代に戦国風の天守閣など建ててもあまり意味がないことは
当時の人も分かってた訳で(現に、同じ時期に函館の五稜郭の計画が始まってる)
実はそんな大袈裟な話でもない。
そもそも、前回書いた加藤嘉明さんが作った初代の天守は五層で、
三層の今よりもっとでっかいものだったのだが、
実はこの辺あまり地盤が宜しくないので倒壊の恐れもあり
幕府に遠慮するという意味もあって松平さんの時期に三層に縮小したと。コレが二代目。
その二代目が江戸時代中期(寛政の改革の頃)に落雷で焼けちゃったんで
三代目を建てようとしたのだが、幕府に申請して建造の許可を貰ったりとかのお役所的な話と、
さらに財政的な理由などもあって、幕末に至ってようやく完成したってのがホントの所みたいで。

…要はいつまで経っても工事が終わらない横浜駅みたいなものかとw

で、さらに城内をウロウロすると…「甲冑試着体験」とな?
…小田原でもやってるし、これはまあ正直どうでもいい。スルー。
んでもって例によって例のごとく急階段を上って最上階へ。

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・・・と、何か遠くの山にヨーロッパ城郭風の建物が。

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「何だありゃ」と思って近くにいた職員の人に聞いてみたら、
「ドイツのフライブルクという街と姉妹都市関係があるので、お城繋がりで作った」と
何やら分かったような分からんような説明が。
…で、東京に帰ってきてから調べてみたところ、確かに松山とフライブルクは姉妹都市だが、
アッチには、松山と「お城繋がり」になるほどのお城はない。(あるにはあったみたいだけど)
とどのつまりは・・・大人の事情って事で触れずにおいておくのが良いみたいだなw

まあともあれ、松山城から出てきたら…お城に入る時はピーカンでカンカン照りだったのに
空模様が何かちょっと怪しげに。
むう・・・台風17号、そろそろこっちに来るというのか。
天気が大荒れになって次の所に行けなくなったりしたら少々困るな。
…つか、直撃されて帰れなくなったらどうしようかねえww
ま、そん時はそん時に考えればいいや。(いいのか、それで)
(続く)

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